鬱からのスクラップ&ビルド

鬱から立ち直るにつれて人格が変わっていく話

タラとレバー

何で自分はこんな風にしかなれなかったのか、と思うことがある。

人並みになりたかったし、人並みに生きたかった。

自分を嫌うことなく、憎むことなく、手を差しのべられたら握り返して、ありがとうと言う普通の人になりたかった。

 

とても最近疲れてます。

マイナス方面のタラレバばっか言ってる。

前向きなタラレバにしたいねー

もとにはもうどうしたって戻らない

鬱は治らない。

寛解はするが、元にはもうどうしたって戻らない。

 

正直、わたしはまだ寛解すらしていない。

動けない日もあるし、何にもしたくない日もたくさんある。

ただ、人は一人で生きていくのであれば、働かなければ食べていけない。だから働くだけ。

淡々と続く日常に感情も色合いも見出だせないとしても日々をやり過ごさなければならない。

壊れるほど働いても死ぬことはかなわなかった上に体を壊しただけという結果になった以上、もはや過労で先に逝くことはわたしには出来ないと知ったので、日々を何とかあと五十年ほどやり過ごす方法を探さなければならない。

 

元に戻れば世界に色が戻ってくるのか、感情が揺れたりするのだろうか、とたまに思う。

 

しかしそれを壊してしまった今、もはや新しく別の方法を探さなければならないのだと知った今日この頃である。

鬱になったら、もう元には戻れないという覚悟を決めなければならない人間もいるようだ。

鬱はスクラップアンドビルド

会社に復帰して、5ヶ月が経った。

鬱とは何だったのだろうと振り返ってみても、これまた中々よくわからないもので。
ただひとつ分かったことはあって、鬱とはスクラップアンドビルドなんだろうなぁと。
シン・ゴジラの映画を見てたらその言葉が出てきてなるほど、と思った次第。
治っては決していないけれど、前ほど悲壮的ではないし、何ならふてぶてしくなった。
ついでに気がかりだったものが全部どうでもよくなったし、人の顔色を伺うこともほぼやめた。
正しいと思ったら言うし、態度で示す。
前の人格が壊れて、そこから現れた新しい考え方。
何でも引き受けてた自分は一体何だったのだろうと今になってみて思う。

元々わたしは、自分と自分の好きな人たちがいれば十分だった。
あれもこれもと背負える訳もないし、そりゃわたしが優しさの意味をはき違えてるとしか言いようがない、し、そんなもんただの自己満でしかない。
そして疲れて腐って、死にかけてるとかアホかと。

元々は仕方ない、と思うことが多い人生ではあったが、仕方ないの上にどうでもいいが加わって、まあ、前よりは生きやすいのかもしれないと思う日々。

備忘録

どうやら自律神経失調症らしい。

不安障害もあるらしい。

でも不安障害の症状は小さい頃からのことで、ある意味一生付き合わねばならないものと思っている。

この症状ごとわたしと言う人間という認識で生きている。

 

しかし自律神経失調症に関しては、どうやら天候によって動ける範囲が区切られてしまうので、めまいがひどくて起き上がれないと言うこともある。

もちろん働きに行くこともできない。

 

さて、どうしたものかとベッドに寝転がりつつ、まあここまできたら休職するしかないな、治すしかないと腹をくくったのが先週のこと。

これにも紆余曲折はあったが、これは友人たちの努力によるもので、わたしが休むことを決めるきっかけは、友人たちの助言だった。

 

病院にもいかず、大丈夫と言い張り、しかし心の底では早く死んでしまった猫と祖父がお迎えに来ないかなと思っているほどに生きることを諦めていた時に病院にいけと熱心に進めてくれた友人たちがいなければ本当にお迎えが来るまで働いていたことと思う。

 

一人暮らしで仕事しないと食べていくことすらできないわたしにとって、寝てるだけと言うのは非生産的過ぎて焦るばかりになるので、じゃあ今流行りのはてなブログでも備忘録代わりにやってみようかと、そんな感じではじめる。

 

終わりは決めないし、いつ書かなければならない、というのも決めない。

単純な備忘録として。